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特に何もないのだが。

陽射しが強くなってきた。ふと外の空気を吸い込んでみた。初夏の臭いだ。ぼくには誇れるものなど何もない。だが、ぼくは偶然にしてこの世に生を受けた。大切だとは思わないが、何かが出来るのではないかと思う。ただそれだけのことだ。何かをなすこと。それは生きている証だ。ただぼくの場合は、せわしく明滅する。何が正しいかわからぬ。なるようにしかならない。と半分諦めモードだ。ぼくが何かを成したとき。それはぼく自身である。書いた本がフィクションであれ、それはぼくの体なのだ。たかだか爪程度にしても、だ。

# by ningenno-kuzu | 2012-05-18 14:41 | ブログ | Trackback | Comments(0)

恋愛に対して気の弱いぼく

好きな女の子に食事も誘えない。機会があれば食事に行きましょうとは言ったが、行きましょう、とはいえない。それは自分に自信がないからで、その為、ぼくは振られるだろう。悲しいかな僕の心のひだは、たいていの人よりも感じやすい。うつろいやすいのだ。悲しいかな現実は厳しい。ぼくはこのドキドキをきらめく天の仕事に結びつけよう。「一人の娘を想う時、お前に光と影の像が現れる。それを詩(うた)にするのだ」BY・・・。

# by ningenno-kuzu | 2012-05-13 10:25 | 日記 | Trackback | Comments(0)

大好きなあの娘(こ)が、甥に言ってくれたことば。

こいつ背が低いんだよな~的なことを言ったら、「中学なれば伸びるよ」と。これ言ってくれたの結構前だよね! スポーツ万能やけど頭の方が・・・。と言えども前向きなことばをいただいた。サッカー頑張れ甥コロン! あの娘(こ)も頑張っているんだ。みんな頑張れ!

# by ningenno-kuzu | 2012-05-09 20:25 | 日記 | Trackback | Comments(0)

今夜はこれだけ

                      残忍、残酷なシーンがあるので気を付けてください。

# by ningenno-kuzu | 2012-05-06 23:44 | ニュース | Trackback | Comments(0)

清志郎は不滅です(n‘∀‘)η

# by ningenno-kuzu | 2012-05-02 00:00 | ニュース | Trackback | Comments(0)

暗い闇夜をぶっ飛ばせ

# by ningenno-kuzu | 2012-04-25 19:23 | ブログ | Trackback | Comments(0)

『マークトウェイン短篇集』―その中よりエスキモー娘のロマンスを取り上げます。

マーク・トウェイン? 誰だ、という人。『トムソーヤの冒険』、『ハックルベリーフィンの冒険』を覚えてないかね? ああ、子供の頃に読んだわ、ていう人いますよね。ああ、あの人か、という人も。マークトウェインはペンネーム。ミシシッピ川の汽船が航行するのに安全な川底の深さの単位だ。マーク~トェイン(ニ尋)! ニ尋(ふたひろ)とは日本での単位。えっ、てぇことは日本とアメリカは同じ単位か? そういうことになろう。・・・、ということにしておこう。ぼくはあまりのも疲れはててるのだ。厳密に問わないでくれたまえ。

マークトウェインの短篇集は、新潮文庫にある。ただし翻訳が古い。言葉遣いが多少硬いのだ。だが、おすすめするよ。彼はE.A.ポーなどと並んでアメリカ文学の古典、単に古典というより後の作家たちに多大な影響を与えた作家なのだ。たしか本名はサミュエル・ホーン・グラマンス。彼は文字を植字工として覚えた。学のある人ではないんだ。だが、彼の本を読んだことがある人はとても信じられないくらい豊かな彼の創造物を読んだこととなる。彼の当時の体験記なども出版されているが、その多くは書店では見られないだろう。ぼくとてすべての彼の書を読んだとは言えない。だろう。さてさて、本題に入ろう。

『マークトウェイン短篇集』の中の「エキスモー娘のロマンス』を取り上げよう。とはいえ、本書を手にして述べる訳じゃない。記憶を頼りに、半ば創作に近い形で述べてみよう。ぼくは短篇集自体通して読んだが、なぜその中からこれを選ぶかと言えば、痛烈な現代批判がその中に潜んでいるからだ。考えてもみたまえ、エキスモーのことをぼくたちはしっているだろうか? 彼らの大切なものを知っているだろうか? その大切なものと言えばぼくたちが笑い飛ばしはしないまでも、何でそんなに重要か我が目を疑うものばかりなのだ。創作的に書くと言ったが、ここまでは割りと正確だ。が、わからぬ。

愛しい? 人を待つまでエスキモー娘はその人を想い、その人のために大切にエスキモーが大切なものを大切にしている。いや、実はそんな話なのだ。それを見ている作者の視点がある。それはトウェイン自身だったようだが、その中に彼は現代人(アメリカ人といったほうが良い)に痛烈な皮肉を込めている。金券主義の差別主義者のアメリカ人に、深い一撃と、エスキモー娘に対する思いやりをこの作にトウェインは込めているようだ。是非、一読あれ。これが難しいのなら、『マーク・トウェイン自伝』をおすすめする。電車の中で読まないでくださいね、これは。思わず吹き出しますから。

以上、手短に。誤字脱字ご容赦ご容赦。

# by ningenno-kuzu | 2012-04-24 19:08 | Books | Trackback | Comments(0)

芥川龍之介とぼく

芥川に似ていると以前、作家の岳真也さんに言われた。この方は小説畑で活躍されている、ある意味、ぼくから言わせると重鎮なのだ。ブラブラと夜新宿辺りで帰る道すがら、岳さんは「○○くんは芥川に似ているな」と言われた。その境遇などを鑑みてそう言われたのかもしれないが、あるサイトのぼくの作品のタグに誰かが、芥川龍之介と付けていたので、境遇ばかりでなく、作品の基調も似ているのかと、勝手に拡大解釈をしている。それだけのことだ。

# by ningenno-kuzu | 2012-04-22 11:27 | ブログ | Trackback | Comments(0)

森川雅美詩集 『夜明け前に斜めから陽が射している』森川雅美 著 思潮社

森川さんは父親をなくしたばかりのはず。彼の詩集に扉を開けると「父に」とある。誰にでも父親はいる。その役目を果たしていなくとも。森川さんにとっては大切な父親だったのだろう。ぼくはこの詩集をポツリポツリと読んでいった。タイトルがどの詩にもなかったので、そういうものか、と読んでると最終ページにふられていないはずのタイトルが載っていた。それをタイピングしようと思ったが、こちらは疲れているのでそうは簡単意はいかない。だから写真でもと思ったが、僕のカメラの性能がぼくの撮りたいようには撮れないので、諦めた。

この詩集は非常に静謐なところがある。何を問うこともなく進んでいるかのようだ。ことばは語られるが、そこにそれ以上の意味を付加価値としてのせてみよう、という作為を感じない。非常に自然発生的なもので、凝り固まったセンスの悪さをうかがい知ることはできない。浮ついた表現がほとんど無く、力動的に或ところのものを取り上げているといった感じの佳品作ばかりだ。読んでいた心動かされるというのではなく、読んでいるからこを言葉を短に感じているといった作品なのだ。現代詩でこんな素敵な詩集を読めるとは思わなかった。棺桶に入ったような詩か、ことばをいじくった詩か、そんなものしかないような中でよくぞ書いてくれまいした、と、太鼓判を押したい詩集である。

幾ら何度かお会いしたことがあるといえど、イイものはこのように取り上げてみるべきだね。知ってる人だから甘く見たのではないことをいい添えておく。ただし、彼のツイーターでの発言は全くの俗人のそれだった。やはり詩人は詩を書く事が重要なんだと思う。そこでしかないと。

# by ningenno-kuzu | 2012-04-20 17:22 | Books | Trackback | Comments(0)

星に願いを

前も書いたと思うのだが、このブログというやつは書こ書いたものが過去そのものになり、誰もそこまで深く読まないだろうと考えて、また取り上げることにする。たいしたことではないが。

『チキチキバンバン』というミュージカル映画がある。楽しい映画で、ぼくにとって、いや、家族にとって大切な映画であることを告白しておこう。映画では子供を二人持つ発明狂の父親がいて、まったくにぎやかな映画である。ミュージカルなので歌のシーンがあるが、映画のシーンとうまくミックス出来ていて本当に素晴らしい。映画の紹介でないから詳しくは述べないが、ほんと素敵な映画だ。

まずぼくの祖父が発明家であったことを告白しなくてはならない。しかもH町の貧乏博士と呼ばれていたそうだ。彼は肺炎のため死んでしまったそうだが、生きていたら聞きたいことが山積みだ。発明家というキーワードが映画とかぶるし、優しい祖父だったそうだからやっぱり映画とかぶる。ぼくは発明家の血のつながりをふと考えずにはおれない。ぼくは専門は電気工学だが、そういったハード面の発明とは縁がない。二つの研究所にいたことは確かだが、そこには僕の欲しいものはなかったのだ。ひとつは親方日の丸企業だが、施設面は全く問題なかったが、取り扱っているのが原子力発電所関連の研究所だったので、ぼくは早々と退散したのだ。当時、ぼくは原発に対して危険である以上の考えはなかった。関西としては一番大きな研究所でなかったろうか。でもぼくはそこを離れ、関東に向かった。そう、小説を書く環境を求めていたのだ。だが、そこもぼくの欲しいものはなかった。そこには派閥があるだけで、ぼくにはうんざりするような人間関係だったのだ。研究がこれだけ人間くさいとやってられない。これがその当時のぼくの考えだった。東は知らないが、西は京大、九大、関学だった。そいつらに歓迎を受けて入ったが、ほんと馬鹿げた職場だった。ウンザリなんだ。

ぼくの研究は一種の思考実験に近い。物理あたりで行われていたりするが、ぼくはまず人間が研究の対象だった。今でもそうだが。カメラをやったのもそれにつながる。映画も音楽も絵画も文学もすべては研究だったのだろう。僕は考えそして歩く。タバコをくゆらし、そして本を読む。今年の秋はベンチに座ってタバコをくゆらしたい。静かな誰も邪魔のないところに。書きたいことが多いので、星に願いを込めて、ぼくは浮世に遊ぼう。無益な時間などないのだ。無我の状態は保てるなら保ったほうがいいと思う。ピースズのために。ピースズというのはぼくの造語かもしれない。英語辞書を引くのは面倒なので。相変わらず誤字脱字の類が多いがお気になさらずに。今回、本を出したのだが、校正刷りに面倒なので適当に読み流し、適当に赤をいれたため、誤字が見つかった。あるところの「掃除機はかさこそ音を鳴らした」というような表現があるが、そこは「掃除婦のかさこそ音・・・」なんだ。でも、いいよね。机に向かうのが限界に来たので、ここでブログは終わり。テキストを書いてないから見てこれを打ったわけではないので、少しは楽だが、考えながらするのも楽しいが疲れる。ではでは。

# by ningenno-kuzu | 2012-04-16 19:25 | ブログ | Trackback | Comments(0)

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