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人間嫌い

『人間嫌い』といえばモリエールが有名だ。確か戯曲のはずで随分前に読んだから内容は全く覚えていない。とはいえ現代はモリエールなんて読む人がほぼいないのではないかと思う。また新しくは田辺聖子さんで『人間嫌い』がある。これは小説のはずだがぼくは読んでいない。新しくはといったが、これも結構前のはずだ。彼女は唯一といっていいほど大阪文学学校出身で成功した作家だ。ぼくの先輩であるわけだ。その彼女がモリエールの『人間嫌い』を読んでいたのは当然だろう。同じタイトルにしたのは彼女のモリエールに対する一種のオマージュだろう。敬意を表したと言ってみても良い。だけどぼくはあえて彼女の本を手に取らなかった。ぼく自身が一種の人間嫌いだからだ。

人間をぼくは嫌いであるが、自分も人間であるので自分を好きになれない。またその正反対に人間のために何かすることはあるのだろうかと考えたりする。人間が嫌いで好きという感覚がぼくの中にある。この二律背反がぼくの至上命題のように存在するのだ。ぼくは誰でも信用してしまう。逆に言えば誰も信用していない。ただ人間であるから非なるところは誰でもあるだろう、と考えるから個人的な意志から来る至上命題を抜いたら、ぼくはどんな人も許してしまう。ただしかくあるべし、という強い気持ちはある。

理想が高いのだ。自分自身と周りの環境に対して妥協したくないのだ。ただ最終的には人を許してしまう。しかたがない人間だからさと。とはいえ普通の人とはぼくは違っている。この違いは明らかだ。写真を撮るとき最近では人の顔を撮影しないようにしている。今ではネットが全盛で個人情報の観点から差し控えねばならない。悪いことをするやつが多いからそうやって気遣いながら撮影するしかない。これは撮影者泣かせである。事実上スナップ写真での顔撮影は控えるしかない。そうなるといい写真が撮れない。人間様のお通りだとばかり良心的な面をしたバカに変な目で見られるかも知れないからそうやって自粛するしかない。個人情報保護法というのは実は名ばかりだ。スマートホンの登場で規制には盛りだすこともほぼ不能。誰が誰であるか特定のしようがないという自体になってしまった。


でもぼくみたいに人間のやることにいちいち頭にきていたら体力が持たない。カチンと来るが許さなくてはならない事象でいっぱいだ。バカじゃないのかと感じてもまたまた許さなくてはならない。漫才で云えば一人ツッコミ一人ボケと言う二役を担わなくてはならない。ぼくはゆったりとした風にあたっていたいよ。そうしてのんびりしたい。でも周りがやかましい。馬鹿ばかりかと絶望感に苛まれてしまってこれじゃこのままじゃどうしようもないなとは考えるが、それほど遠くではない先の先まで日本は安泰だと考えるとどうでもいいやと思う。でも日本だけ良くてもどうしようもないのだがね。外国もあるということは忘れてはならない。このできの悪い人間(自分も含む)がこれからどうなるのか心配だ。でもぼく一人じゃどうしようもないしね。諦めが肝心だとのんきに泡を吹いている場合じゃないが、ホラでも吹きまくって正しい調子を取り戻そうと言う努力は必要だね。

by ningenno-kuzu | 2017-03-30 18:20 | ブログ | Comments(0)

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