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肉体の悪魔ー苦悩する精神

『肉体の悪魔』といえばレイモンラディゲの小説だ。三島由紀夫が日本に紹介して有名になった。かの作はラディゲの処女作で、また彼の発表した作品は二つに過ぎない。こんな寡作な作家が世に出回ったことは特筆するに値する。もしかしたら三島が紹介していなければ、この作品は現在では読めなかったかもしれない。その内容を良いとか悪いとか言うつもりはない。彼は若くして死んでしまったのだ。確か20という年齢で。そんな作家の作品が残りえたのは奇跡と言えよう。だがぼくはここに彼の作品を取り上げようとするつもりはない。現代では残っているが、広く読まれていないだろうが、彼の着目点はやはり素晴らしいと思える。若い主人公が性の虜になり、いや性から派生する早熟な一面を覗かせ、しかもその彼が早死するという悲劇にある。

その悲劇性は象徴をもたらす。それは我々の象徴であるが、借り物の象徴だと感じさせないのは、そのタイトルに見られる人間本質が見え隠れするからだろう。

肉体は苦悩する。そして精神はそれに発言権を与える。肉体の苦悩こそ我々に生に対するある種の不安をもたらす。気づかずにおいた不安が行動から行動制限から苦悩へと導くのだ。そこには存在不安が隠されている。死に対する驚異が何処かで我々に囁きかける。そうして肉体に不安が及ぶ際に我々は深く苦悩するのだ。そこからの救いが死であるかのように。明日の食事の心配。食事が体にいいものかどうかの心配。お金が尽きることの心配。健康で有り続けるための心配。いろんな種類の苦悩が我々を悩ませる。人と人との関係性の喪失を我々は恐れ、不安な一夜を眠れず過ごす場合もあるだろう。

そんな苦悩が忘れ去られる時がないわけじゃない。そんなぼんやりとしたしっかりした現実がなくとも我々は太平楽を感じる瞬間がある。ただ目の前にある驚異に鈍感なだけで、それは慣れているだけで、苦悩や不安が消えてなくなったわけじゃない。我々は目の前の苦悩より先々のぼんやりとした不安にさらわれた方がそれに対する発言を強くする。わかりきった現実よりまるで虚空を彷徨う不安に問題を感じてしまう。それらが日々の営為となり我々は大きな塊となる。それが世論というものになりある種の傾向を持ちながら一つの形を示すことだろう。この忘れ切った肉体がいずれ崩壊してしまうことが我々には信じられない。それは若さが忘れさせることもあろう。老いらくがほんの気楽な物事に我を忘れることもあろう。だが肉体は我々を忘れない。そして精神的に僕たちはどこへとも知らない世界に投げ出され、そこに現実を感じることだろう。

by ningenno-kuzu | 2017-04-16 12:37 | ブログ | Comments(0)

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