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宇宙時々喫煙

人々は日常に取り巻かれている。やるべきことが誰にでもあり、そうして一日を終える。頭のいい人という考えがある。そういう人は物事を沢山知っているのかもしれない。だが考えてもみたまえ。物事を知るには限界があるんだ。どの人もまたどの人もすべてを知ることなどできない。知っていることなど誰しもわずかだ。知りえることなど大差はないのだ。

宇宙がある。この秘密は誰にも解けていない。わからないのだ。物理の法則は正しい宇宙の捉え方を説く。しかしながらそれらは万人の物ではない。ある角度から見たら正しいとされる見方が備わる。でも遠くを見るには我々の限界を知ることになる。

恒星や惑星の数々ある中で地球と似た星があるという。つまり科学者たちはその星に生物が生息すると期待を持ってそう考えたのだ。だがそれら考えは人間らしいと思われるだけで、そのアイデアは僕には空しい。宇宙と人間の関係をもっと我々は知るべきなのだ。

みたまえ宇宙を。そこに何があるかね? 星々がある? 星々の空隙は何で満たされているかね?  

これらの不思議を我々は看過できない。そもそも我々が我々を看過できないように宇宙はあるのだ。また宇宙との関係を科学者の多くは見ようとしない。せいぜい単なる壮大な空間であるという観点でしかとらえようとはしない。人間の生きると宇宙の関係を彼らは考えないのだ。それは一種の哲学的概念であると思われるかもしれない。だがそれは違っている。哲学的な捉え方は科学と程遠いと思われるかもしれないが、科学と哲学は観測地点を同じくできるのだ。

数式であらわせる事象は便宜的な解決を図るにはちょうどいいかもしれない。ぶれない共同幻想を抱くことができる。しかしながらそれは言語を数式としただけで、共通の命題を認識する上では便利であるが、事の本質に触れるにはどこか欠けている。同じ方向を見るには便利なだけなのだ。

あらゆる事象は人間と宇宙の関係性から考えることができる。地球上にあるものが、地球はもちろんのこと宇宙との兼ね合いで存在し存続しえるのだ。人間が作ったあらゆる物質的な物。それらは現実を構成しているかに見えるが、世界はそんなに狭くない。またイメージの広大さはどこまでも続く。人間はある時代からこう見ようと通り決め、そうみることにより現実にあるものが生まれただけだ。それらは正しいからあるのではなく単なる宇宙の見る観測地点を決めたことにより生まれただけのことだ。

静かな宇宙。まるで関係ないように存在する宇宙。だが宇宙はどの時代でも我々と共にあったのだ。

by ningenno-kuzu | 2018-05-04 09:40 | エム・アイ・ケイ・アイ理化学研究所 | Comments(0)

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