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地政学的ことばの問題

正しい日本語は実際のところ存在しないと思う。ここに地政学的な問題がある。例えば日本国を例に挙げると、方言というものがある。日本でも標準語で統一されているように思われるが、それは共通の価値観を含んではいるが、地方の方言を理解する事は難しい。

沖縄の方言だけで語られたら、知らない人は何を言っているのかわからないいだろう。僕は日本におけるそういう方言をすべて知っているわけがないし、それは誰しも理解は不可能だ。言葉は世界中で違っていて、日本でもそういう違いがある。

さてさて。隣国、韓国朝鮮がある。かの国は遠い昔、日本の一部だった。朝鮮族は言葉や感情の出し方において日本とまるで違うように見える。それは外国であるからそうなのではなく、いわゆる地政学的にそして歴史的に培ってきた文化風習というものが出来上がり、それが決定的な違いに見える。

それら違いは日本での違い、方言や文化風習の違いと同じなのだ。それは地政学的な遠い国と同じことで、遠くなればなるほど、言葉の違いや習慣の違い、あらゆる違いを生む。それは眼の色、肌の色に及ぶ。

ここで一言でしめるなら世界中の人々と日本人は関係しているのだ。DNA分析からいうと、人類みな兄弟ということになる。だが国がありその国に人々が国の違いを主張して戦争や物資の取り合いを行う。

だが我々はそんな風景を良しとしなくとも考えに及ぶことはない。個々人はそんなことに目を向けることは事実上不可能だ。個人にある現実があり、その現実は個人を目隠しし大きな現実に気付くことはない。それは悪いことではなく、どうしようもないのだ。

人類はそうして歴史を刻んできた。歴史を否定することはできない。殺戮の歴史といえばそうなのだが、僕はそこにある光明をみつけ出そうと考えてはいる。それは正しさではなく、調和というありようで望める人間回復の僕の中の基調テーマだ。それらに気付いている人はいないわけではない。ただ少数派のそういう人たちは頭を抱え絶望の淵に立っていることだろう。

by ningenno-kuzu | 2018-06-17 11:29 | ブログ | Comments(0)

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