IE9ピン留め

ガルシン短編集

この本はずいぶん前に買い、ごく最近になって読んだ。というか、すでに読んでいたかもしれないが、記憶にない。

それは作品が悪いわけでなく、読む側が理解するのに時間がかかった、もしくは必要な時ではなかったからかもしれない。

本というのは非常にありがたいもので、買っても読まなくてもいいし読んでもいい。どちらでもいい。自由なんだ。ぼくは本がどれだけ優れたものか知っている。本自体に価値がある。ある意味なかみはどうだっていい。

本というのはもしかして非常に人間的な媒体かもしれない。小説にかかわらず本は非常にひかえめで、誰もさあ読めというわけじゃなく、どうだっていい。

まるで本は永久磁石みたいに思考を整理してくれる。砂鉄という神経系統をS極からN極まで読んでいる間磁場か働いて、一つの方向性をもたらす。砂鉄はうまく磁石の磁場で迷走した神経を、まるで何らかの意思があるように形作られる。方向性があるのだ。

本にのめりこんでいる間、我々は非常に安心できる。本という媒体の優れた特徴だ。

ガルシンはこの短編集ですべてがわかる。ガルシンのすべてだ。作品の基調といおうか、この狂った頭の持ち主は、鮮やかでそして美しい世界を我々に提示してくれる。

なんともはや人間的ではないか。そして鋭敏だ。

頭が狂うというのは人間の特性で、自分はまともだと思っている人は、ある意味どこかおかしい。

僕の長い人生遍歴で、まともな人とは顔をあわせたことがない。これは事実だ。

そんな線引きは本当は意味がない。まともかそうでないか、誰にも決められないのだ。

『赤い花』は精神病院での体験で書かれたものであるが、何もガルシンが特別ではない。作品が特別なのだ。

人間の一側面をのぞき見るにはこの作品は向いていると思う。

ぼくは非常に短い小説を書くことを目指しているので、むかし片っ端から短編集を買ったが、この本もその一つである。

本書は人間の感覚とそして、限界もしくは特性を教えてくれる。少なくとも、トーマス・マンの短編よりも、興味深いものがある。

本書は人と共にあるのだ。

by ningenno-kuzu | 2007-05-25 12:24 | Books | Comments(0)

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