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カテゴリ:movies

  • 『逃げ去る恋』 フランソワ・トリュフォー
    [ 2012-02-13 16:30 ]
  • 『ポンヌフの恋人』
    [ 2012-01-04 17:43 ]
  • 『メイド・イン・ヘブン』
    [ 2011-10-16 17:46 ]
  • JUMP
    [ 2011-03-18 17:57 ]
  • 17アゲイン
    [ 2010-02-28 22:47 ]
  • 普通じゃない
    [ 2009-12-27 08:51 ]
  • [『新宿インシデント』
    [ 2009-11-21 16:51 ]
  • 映画『三人の逃亡者』
    [ 2009-04-30 19:49 ]
  • 『セックスと嘘とビデオテープ』
    [ 2008-12-12 19:33 ]
  • 『都会のアリス』ヴィム・ベンダース
    [ 2008-10-01 21:59 ]

『逃げ去る恋』 フランソワ・トリュフォー

完璧な映画。それが『逃げ去る恋』だ。『タクシードライバー』でその完成度の高さに舌を巻いた作品から年月を経て、その完成度の高さを観たのはこの『逃げ去る恋』だ。延々、フランス語の歌がかかっているかに思え、なおかつそれが生きていて、この作品の素晴らしさを主張している。煩雑な手続きがこの映画にはあるが、複雑なピースを拾い集めたように、この作はエンディングでひとつになる。色紙をちぎり、バラバラになった物が、集約されそのエンディングを飾る。ハッと思わせるそのエンドは、さすがにトリュフォーだなと思わせる。恋愛ものを扱ったこの映画も、トリュフォーの手にかかるとこれだけ人を完膚なきまでにこの作品世界まで引っ張って行ってくれる。観て良かった、と思わず唸るのだ。この作品は兵庫県立図書館で観たものだが。いったい何度見たことだろう。ビデオライブラリーがその当時、あったのだ。どういうわけか、それはなくなり、代わり映えのない図書室に変わってしまい、今では触手もそそらない施設になってしまった。レーザーディスクで観ていたのだが、その当時でさえ、レーザーディスクで見る人は居なかったと思うから、現在、観ることができたら画期的だったのにと、悔やまずにはおれない。(誤字脱字、読みにくい表現すみません)ぼくは現在熱病に犯されている。死にはしないが大変しんどい。もっとこの作品世界を紹介したいのだが、疲れはてているのでご勘弁を。今度は、といおうか、近じかポジフィルムをupします。この映画となんの関係もない物ですが。ぼくのカメラマン修行時代のです。綺麗だよ。では。(o・・o)/

by ningenno-kuzu | 2012-02-13 16:30 | movies | Trackback | Comments(0)

『ポンヌフの恋人』

この映画はもちろんフィクションだ。だがしかし、それはとても熱いフィクションなのだ。たしかレオス・カラックスが監督名で、確かというのも毎度おなじみの記憶に頼る僕のやり方で、ネット上で調べてはない。そこに誤謬が生じるかもしれないが、それはそれでいいだろう。軽い言葉の読み違いだし、新たに構成する新たな呼称になるかもしれないからだ。

かの監督は非常に優れている。ある時期までだが。というのもぼくはかの監督作品を見る機会に恵まれていないからだ。これがジェームズキャメロン監督なら話題にもなるだろう。とはいえこの監督がアート系なり、娯楽性の少ないものばかり撮っているからではない。ご娯楽性も十分あるし、いや、余りあるし、少なくとも『アメリ』くらいは人気が出てもおかしくない。ただし、本作もそんな最近のものじゃない。また、配給方式が、僕の預かり知らぬところであるはずなので、資本という意味ではフランス映画はちと弱い。

ポンヌフ橋をフランスを訪れたメンバーが見たというが(パラノイアのメンバー)、僕の見識が正しければ、現在、残っているその橋は実はモデルのはずだ。つまり橋を作って映画を撮ったが、その橋を壊さずにそのまま使っているのだ。確かそうだと思う。その橋は花火の打ち上げと船の航行、そして川に飛び込んむ二人の男女のためにある。ビノッシュ演じるヒロイン役、そして、奇怪な顔をしたアンヒーロー。恋人役の女性は目が見えなくなる。いやそうだったか、そうなったか。強烈な愛憎と、強烈なひとつ。つまり二人がひとりのように。

トンネルでの棒なにかに火を付けて振り回す男。すべてはその女性に捧げられた哀歌。ちぎれないように必死で男は静かに狂う。いや、狂気まで愛を貫いている。その二人は・・・。

結末はビノッシュによって変えられたそう。監督も自分の彼女には弱い。絶望的な船から川に飛び込むシーンを二人手をつなぎ、まるでハッピーエンドみたいに。カラックスはほんとは川に飛び込み、スクリュウーに巻き込まれるところまで考えていたはずだ。つまりバッドエンド。でもそこに女性の意思が加わって、ほのかな夢の世界にとどめてしまった。本作と似たような、同じ監督作品で『汚れた血』があるが、アート系の子には好かれるが、一般的ではない。少なくとも僕はそう思う。悪いのじゃなく、アート系の人にはおすすめだが、というところ。映画好きならやはり『ポンヌフ・・・』だ。

長くなるのもなんだし、年末の疲れがたまっているので、切り上げます。ほんと何もしたくないが・・・。ではでは。(o・・o)/

by ningenno-kuzu | 2012-01-04 17:43 | movies | Trackback | Comments(0)

『メイド・イン・ヘブン』

こんなタイトルの映画がある。なに? ハリウッド映画か…、その通りなのだが、ハリウッドをそんなに馬鹿に出来ない。いわゆる巨額の資本にはかなわない日本映画、国策とばかりにアメリカは映画産業を築いていた。これは日本も見習わなくちゃ。それは一種の価値観を人々に提供するのだから。映画やドラマが日本にとって単に産業ではなく必要であれば、ぼくなんかは力ずけられる。
ここは天国だ。そう主人公の二人がいるのは。ここで出会い、ここで結ばれ、ここから記憶を奪われ下界へと。残された時間はない。
こういうシチュエーションはおそらく良くあるだろう。天国て概念がね。もしくはアイデアがだ。ない物をあるとするなんてこれは映画でしょう。ぼくの母親は無類の映画好き。ただし、名画じゃなく、ハリウッドだ。故淀川さんお日曜映画劇場。これが彼女の娯楽。彼女は映画の中だけでも汚い世界はみたくないとのたまわった。至極当然か? 

男女が天国から降りてくる。そして天国での記憶がない。タバコ吸いの天使の元締めは、彼らを暖かくも見つめ、出会わない、出会いそうで出会わない二人をその目で追いかける。ある時、老夫婦が男の方を車に乗せる。確かトランペットか何かを渡すのだ。老夫婦には依然会った、いや、失った息子に見えた。トランペットを無造作に吹く、男性主人公。夫婦は顔を見合す。

二人はなかなか出会わない。とんでもない格差が二人に生まれていて、もう会うことは奇跡的だ思う頃、二人はハッピーエンドに。さすがハリウッド? 現実がひどすぎるんだ。夢を見ても良いじゃないか。せめて映画の中だけでも。

陶酔の時よ来い。酔いさらばえて、我をなくす時よ来い。忘我の時を来い。

by ningenno-kuzu | 2011-10-16 17:46 | movies | Trackback | Comments(0)

JUMP

by ningenno-kuzu | 2011-03-18 17:57 | movies | Trackback | Comments(2)

17アゲイン

by ningenno-kuzu | 2010-02-28 22:47 | movies | Trackback | Comments(0)

普通じゃない

この監督「トレインスポティング」を撮った監督さん。名前は思い出せない。ググれはいい話だが、何回も観るつもりだからあえてしない。映画「普通じゃない」いかした映画だ。善良でちょっとおバカな男が主人公。しかも彼は小説家志望で、いかんせん通俗小説ばかり書きたいと願う男。これじゃあ誘拐なんてできない。てか誘拐した。なんと大金持ちの令嬢をこのおバカな善良なもと掃除夫が・・・。

その美人の令嬢は銃の扱いに慣れている。ここがみそだし、確か14の時にも誘拐された。誘拐犯のやりそうなことはお手の物。天使たちは嘆く。どうしたらこの二人をゴールインさせることができるかと。映画「メイドインヘブン」をここで思い出すのは僕だけだろうか? 天使たちの画策。これがなかなかうまくゆかない。やることなすこと大外れ。だが、天使たちの努力はてめえの頭をピストルで打ち抜かれるまでになる。二人とも死亡する天使たち。天国にも帰りたくとも帰れない。だが、奇跡は起きる。これぞファンタジーだが、男と女が出会うときそこに何かが始まる。運命がそこで語られている。男と女は運命的な出会いをすると。

この映画の理念はこれに尽きるかもしれない。ぼくは甥とこれを観てわらったし、ぼくは少しく涙した。これぞ映画て言うのを見せつけられた作品だった。そうだ。ぼくも来年映画を撮るかな。

by ningenno-kuzu | 2009-12-27 08:51 | movies | Comments(0)

[『新宿インシデント』

熱い映画だ。この世相の反映。日本人? そんなの関係ないだろう? 映画は中国人が主人公。それをジャッキーチェンがつとめる。アンチヒーローものだ。この結末で不快感を感じる人はその人は映画ファンではない。ほんとの映画ファンはこんな作品で燃えるのだ。好きな人はこんな作品で涙を流す。国境? それなに? 関係ない関係ない。映画こそ世界芸術だ。国境はない。見ればわかる。それが映画。涙は人間の血そのもの。伊達じゃない。生きるとは悲しいこと。この作品はそれを教えてくれる。ジャッキーのファンが失望しようともぼくは関係がない。ここには映画の力がある。映像の力だ。人々を結ぶかくなき友情。もしくは失望。そこに生のドラマがある。生きていることは大変なんだ。でも現実は必ずしもつらいばかりじゃないし、ひどいばかりじゃない。この映画はほんの少しの希望を見せてくれる。だが、主人公は死を迎える。悲劇的だ。だが、その死は無駄ではない。映画として定着されているからだ。

この作はフイルムである。監督が選択したのだろう。CG時代の今日にあって、デジタル全盛の時代にあってこの監督はフイルムを選択した。これは危険な賭けである。だが、この監督は過去の作品、いわゆるフイルム全盛期の作品をリスペクトしているのだろう。映画をよくしっているのだ。だからこんな作品ができたのだと思う。生か死かその選択肢はこの現代的な作品にはない。現実に翻弄されて人々は死んでゆく。こんな残酷はないが、それが現実というもの。この作を見て歌舞伎町に偏見を持つものがいたらそれは気の毒なやつだ。現実とはそういうもので知らないですんだことを知らせられるのが嫌なだけだろう。裏社会があることを知らずに生きている人ははっきり言って馬鹿だ。でもね、この映画の現実に耐えることもたしかにつらい。でもぼくたちはそれを忘れてはならないのだ。

日本人として生きるなら避けてと通れない道なのだ。現代において。外国人はこれからも日本社会の底辺で暮らすだろう。そうして日本人を薬漬けにするかもしれない。が、ぼくたちは彼らをもっと深く理解しなくてはならない。彼らを救うには自分たちを救うにはそれしかないのだ。理解せよ。日本人!

by ningenno-kuzu | 2009-11-21 16:51 | movies | Comments(0)

映画『三人の逃亡者』

コメディに関心のある人はいるだろうか? 最近テレビではお笑いブームだ。わけのわからない芸人たちがテレビに出ている。お笑いは昔からあったので特に新鮮なわけではないが、子供たちの話題にお笑いが一躍かっているのは間違いない。で、コメディー映画。ここでは『三人の逃亡者』を挙げてみよう。本編はフランス版とアメリカ版がある。フランスが先で、アメリカでリメイクされたのだ。ぼくが観たのはアメリカ版。ずいぶんと前のことだ。何回か観てるがそのつど新鮮。フランス版をみなかったのは、偶然かもしれないし必然かもしれない。

たぶん一度観てはまってしまったからかもしれない。キャスティングが最高。ニック・ノルティとマーティン・ショートのでこぼこコンビが笑わせてくれる。ところで三人な訳は、もう一人小さな女の子がいるからだ。その女の子がまたかわいい。お人形さんみたいという形容はあたらずとも遠からじ。監督は覚えていないが、この次、観ることがあれば覚えようと思う。ネットで見たが聞いたことがない。だから転載は避けよう。あくまでも記憶の中で・・・。

ストーリーを語れば面白みが半減しそうだが、少し話してみよう。ニック・ノルティ扮する銀行強盗のプロが、やっと刑期を終えて刑務所から出てくる。はした金だが銀行に預金を預けに来る。刑務所ではもちろん労働をしたからある金で、決して銀行強盗をしようと銀行に入った訳ではない。だが、刑事たちは刑期を終えて出てくるバリバリのプロをとりあえず監視に来ていた。と、ところがマーティン・ショート扮する、銀行強盗どころか蝿も殺せないような男が金に困って銀行強盗をやらかすのだ。なんと銀行強盗のプロが預金を預けようとしたその瞬間に・・・。

幼い娘のために父親が選んだ策。娘は確か母親が死んだショックでしゃべれなくなり、父親も職がないので娘と一緒に暮らせない。この父親の願いは娘と一緒に暮らすことただひとつ。その父親、マーティン・ショートのボケぶりとニック・ノルティーのいかつさは真逆。背も低いと高い。その落差は笑いのつぼを刺激する。・・・。

あまりストーリーを説明するとやっぱり笑いが半減するのでやめておく。もう古い映画なので、レンタルビデオ屋にはないかも知れないが、あれば観ることをお勧めする。とりあえずコメディーコーナーを探してください。つぼにはまれば笑いの渦間違いなし。

by ningenno-kuzu | 2009-04-30 19:49 | movies | Trackback | Comments(0)

『セックスと嘘とビデオテープ』

いったい何年前に観ただろう。この作品を。ライブで観ていないからほとんどがレンタルなのだが、何回か観たのは間違いない。だけれども全く内容は覚えていない。強烈なタイトルのわりにはそんなにエロティックではなかったような気がする。性に対する女性たちのインタビュー集みたいに記憶してるが、やはり内容は不明。昨今のエロ事情よりよほど健全だろう。現在のアダルトサイトは犯罪の温床。PCを持っているごく成人に近い人は、たいていアダルトサイトにお世話になっていると思う。が、内容が内容だけに犯罪を誘発し、そしてアダルトサイトは生き延びる。

性的な欲望はあらゆる方面にたけ、誘発するところの性衝動は圧倒的上位だ。人間がセックスなしで生き延びれるはずはない。だがそこに規制をかけるのは間際ない性に対する好奇心に対し、社会的通念による犯罪的行為を予防するためだろう。犯罪でないといえばないのだが、国として個人として生きるなら今の性犯罪に対する法律はあってしかるべきものだ。強制されたセックスは犯罪行為と位置づけられるし、ある程度の社会的な経済的活動を担える年齢にならないと性的行為は単に性欲のためになり、資本主義経済の一員ともなれないからリスクがあるのだ。

そのリスクを避けるために性犯罪を規制強化し、ウエブ上で氾濫するアダルトサイトを締め出しにかかっていると思うのだが効果はそれ程上がってないし、いや逆に巧妙に仕掛けられ始めた。ブログサイトからエロサイトにたどり着くような形になっている。また内容が犯罪的に走り始めたのはエロサイトの一般化からマニアックな作への移行が進んでいるからだろう。飽きられるのを防ぐにはその手の犯罪的作品が横溢することを推し進め始めているのだ。へんな文章だが、この手の類を表現するにはシンプルにはできない。ぼく自身が加担者であるし、性的な欲望を回避できないものでもあるのだ。生きていることと性的欲望は切っても切り離されないだろう。人間が性的に変態でなけらばこのような社会を形成すろことはなかったろう。複雑怪奇な迷路のような人間の世界はその性的衝動が作り上げたといっても過言ではない。

by ningenno-kuzu | 2008-12-12 19:33 | movies | Trackback | Comments(0)

『都会のアリス』ヴィム・ベンダース

ベンダースという監督は観客に対する要求が強いのかもしれない。それが観客を魅せてしまうのだからすごいと思う。

あれ? なんていうノイズなんていうこの苛立ち・・・。そうこうしてる間にそれは主人公の心の中と一緒になってしまってる。見る側がいつも間にか主人公と同じ心持になってしまうのだ。ひょんなことからホテルをともにした子供ずれの女性に子供を(その子はアリスという名)預からされる。飛行機が飛ばなかったからかもしれない。女性は男を(?)追いかけてアリスを預けてどこかに行ってしまうのだ。あり得ないとか思うのだが、何か納得させられてしまう。

預かった若き青年は(とはいえ30位か?)カメラを持ち写真を撮り続けている。そしてアリスをどこかに送迎するはずだった。じいちゃんばあちゃんの家に行くはずだがアリスは嘘をつく。引き延ばすのだ。その車での旅を。青年もアリスを同じように大切に感じてしまう。つまり引き延ばしに同意してしまう、心のどこかで。

最後の別れはどうだったか忘れたが、すごくいい映画だったと思う。

カットインが写真のシーンですごくいらだつが、それが主人公の内面だとつの間にか気付かせる手法はベンダースならではだと思う。しかも白黒だ。フイルムの質感が重たくさせ、なおかつ記憶にとどめさすこの監督は素晴らしい。1度見ても損はない。しかもぼくは5度は見てる。観てる見てるは気にしない。漢字なんてどうでもいいじゃないか・・・。

by ningenno-kuzu | 2008-10-01 21:59 | movies | Trackback | Comments(0)