親友が地に落ち着けと以前、年賀にあった。そうだね、と思う。が、ぼくは誰でもない。ただの生ける人間。個、あれど個人なんだが、やっぱり世の中はそういう個を認めたがらない。個性的と言われても、そこになんの価値があるんだ。ぼくは目立ってしかたがない。ぼくのごく普通はイカレテいるか? まあ、どうでもいいことだろ。ぼくだってお金がもらえる日は嬉しい。でもおかねで買えないものもあるんだ。
21世紀になっても人々は変わらない。見てくれは新しくなったり様変わりしているように見えるが、人間の中身はそのままさ。ぼくが善行を積んだわけじゃないが、また、誰かを避難できるほどまともではないが、どういう事だ、と思わず絶句してしまうことがある。妹と母の喧嘩なんて虫も食わぬわ。何気ない喧嘩でもこちとら困るぜ。仲がいいから言いやすいというか、身内だから言えるのかもしれないが、身内で喧嘩するんだから、国内では相当なものだな。外国とは戦争をしてもおかしくない。そうじゃないか? 大概の仲たがいなんてどうでもいいことだ。ぼくは平和主義というより、調和主義なので、不協和音は聴きがたい。違った意見があればそれはそれだし、同調でも全てがOKというわけじゃない。命が命を蹴落としたりする、そんな何気ない日常にうんざりしてる。
知人にぼくの作を読んでヒューマニストですね、とわれたが、そういうのは少し違う。ぼくはガキの頃の問いかけをしてるだけ。笑い飛ばされそうな問いかけだ。自分がそんなに大事なのか?とか。殺し合いはいつなくなるとか。まあそんなくだらない問いなんだ。ぼくは僕という自分を持つが、それはぼくだけが持てないもので、世界と共にあるとでも言おうか、ごく素朴な立ち位置なんだ。
ぼくという人間は多分、常識常識では測れない行動をしてきた。でもそれは少し違うだけなんだ。無視出来るどうでもいいこと。でも、人々はそうはとらない。金儲けはうんざりだなと言えば、笑われて、恵まれてるからでしょう? と言われるかもしれない。そうだろう。でもね、それを僕だけにとどめる積もりはない。誰かと分かち合って行けることになればいいなと思う。ぼくがまったくひとりだとは感じないよう、ぼくだって前向きになりたい。つまり生きたいてことさ。僕だって安らげる一時が欲しいんだ。それを金で買えとは困ったものだ。
そうじゃないだろ?


