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我々は生きているという。もしくは生きていなくてはどこにも存在できない。生命の不思議は科学では解明できないだろう。そこには哲学的な問いが備わっているし、その解決に向けた回答はどこにも存在していないからだ。
年齢というものがある。若い人、老いた人。おそらくここには違う乗り物に乗った者同士だといえるだろう。バラバラな乗り物に乗っているのだ。そこで交差するのは実際の乗り物の電車であったりする。

ぼくは生物学的に年齢を重ねた。いわゆる老いたのだ。その前身、若さというものがあったのは事実だ。子供でなければ大人になれない。この関係性は確固としたものだ。

生から死へ向かうこの方向性は誰もが平等にある。印象としての時間の経過の速さ、もしくは遅さはその時その時に感じることができるだろう。

そもそもだ。命はどこにあるのだろか? 人々に備わった命はいつかなくなる。その命そのものは何を意味するのか? それはおそらく人間という生き物が解明できることはないと思われる。

過去は遠くにあり未来も遠くにある。その遠さには我々はたどり着くことはない。過去にも未来にも。つまり我々は永遠にこたえを見つけることはできない存在なのだ。

我々は遠い過去と遠い未来を想って現在を生きることしかできない頼りない存在なのだ。いってみればパスカルのいう「人間とは考える葦である」という考えに検収することだろう。

# by ningenno-kuzu | 2022-09-11 12:12 | Comments(0)

悲しみは悲しむべきか?

良く外に出れば老人たちに出会う。それは単に少子高齢化のせいではないだろう。若い世代の人も見かけるからだ。しかしながら高齢者をみるにつけ、なんだか悲しい気分になる。

人は他人事ではないか、というかもしれない。それはそうなのだが、僕の感受性はそれを許さない。今日は老人夫婦を駅で見かけた。夫婦だという絶対ではないが、それらしきカップルである。

ふたりは横並びに歩いていた。正確に言うと歩こうとしていた。妻と思しき老女は腰が90度近く曲がっていた。夫と思しき人は老女の横で見守っていた。もしかしたら手を差し伸べていたかも

しれない。

その二人の未来は? もう80代を半ばのように見える二人にあるのは、死あるのみだ。こんな悲しいことはあるだろうか? しかしながら本人たちは、そんな感覚にとらわれてはい

ないかもしれない。十全に生きたという想いが、もしかしたら二人に死と云うものに対する恐怖を忘れさせているのかもしれない。

もしそうだとしたら? 悲しむべきではないだろう。僕が感じる悲しみは僭越というものかもしれない。

生きるとは朽ち落ちて死ぬことか? ただそれだけのことか? 僕にはまだわからない。

# by ningenno-kuzu | 2022-08-28 12:57 | Comments(0)

リビドー 性なる力学

人間の世界はすべてリビドーで説明できる。これが精神分析学の祖、フロイトの学説である。詳しくはフロイトの著書を読んでほしい。ただ僕としてはどうもはかりかねる。

人間が性によって支配されているのなら、人間は単なる生殖動物で、その動物が作り上げる世界はすべて性によって説明できる、のか?

性的な物の強烈な衝動はぼくにだってある。だがそれら衝動を制御できないものとして扱うだけでは説明できないのではないか、と思う。多様な人間の営みを性だけでは説明できないと思う。

人間にはひょっとしたら知性というものがあるかもしれない。その知性に訴えかけてみたいと願う。だがしかしそれは可能か?

リッキーアンドトマトのマスターが僕に尋ねてきた。「機械は進歩するのに、人間はなぜ進歩しないのか?」と。

人間は生まれて死んで、ゼロからのスタートをするから、何度でもいらぬ失敗をするのでしょう、と僕はこたえた。誰かが50年かけて得た知見が、その人が死ねばゼロになる。新たに同じよ

うに50年かけるしかない。そんなイメージだ。

激烈な性は動物としての我々の繁栄を約束してるかのよう。逆にその性の動物的なありようが、自分で自分の首を絞めるような環境破壊に導くのかもしれない。

むかしペンフレンドの人が手紙に書いてきた。「人間は単なる遺伝子の乗り物なのですね」と。それが虚しいと。

動物的に増殖した人間。地球の覇者。果たして我々は破滅の道を歩んでいるのか? そう問うても誰もこたえられる人はいないだろう。

性なる力学の向こう側は、いったい何が見えるというのだろう。

# by ningenno-kuzu | 2022-08-18 19:45 | Comments(0)
なぜ今なのだろう。そうしてなぜ今は生きているのだろう。また今はなぜ一万年前ではなく今で、また一万年後ではなくいまなのであろう。

この不思議は誰も解決不可能だと思う。時間という概念を捨てる必要があるし、そもそも生きている人間が到達できる地点にその不思議はあり得ない。

最近の気候は不順である。雨が降るべき時に降らず、不安定な気候の中、突然の降雨にみまわれたりする。これは要するに気候変動という奴だろうか。

ある大手の企業の中にある発電所は、化石燃料で電気を作る。石炭発電である。僕はごく最近まで日本が石炭で発電していることを知らなかった。

石炭とはPM2.5の元凶ではないか? それを日本でも使って発電しているのだ。中国の悪口は言えないね。

なぜ僕らは生きているのだろうか? もしくは生かされているのだろうか。なぜ今にしか生きていないのか。その謎を解くキーは見つかるのだろうか?

生きていることは何を意味するのか? 時間も空間もない世界。僕は以前に「二次元球面理論」を考えた。それを正しいかどうかみるすべは持たない。

世界はいずれ消え去るのか? しかしながら消えるものとして、そのことも観察者がいなければ事態は決められない。

ぼくらの見通しの良い晴れ間。そんな時代を希求する。僕は正解を求めているわけではないのだ。もしくは正解など、この世界には存在しない。

ただ生きる。ひたすらに生きる。そうして死ぬのだ。その繰り返しが人類創生からありえたのだろう、と回顧することもあろう。ただし今この瞬間という概念は解決不可能だ。

生きているということは大変なことなんだ。生きてるだけでありえることがあり、そこに苦役が存在し続ける。そこには正しさも真理の道も存在しない。

いつかみなさん、お会いしましょう。死なないうちにね。死ねば何もありませんから。

最後にアーネスト・ヘミングウェイの小説を紹介してこのブログを終えますね。アーネスト・ヘミングウェイの短編『誰も死なない』

ではでは。

# by ningenno-kuzu | 2022-07-16 20:11 | Comments(0)
その娘はある期間において僕と同じバスに乗り合わせた。見ただけでわかる頭の弱い娘だった。それが僕の誤解であれば良いのだが、誤解ではなくそうだと思う。

彼女がしゃべったところを見たことがない。ただバスに乗り合わせただけだから、それは当然と云えば当然である。僕はバスを使わなくなった。それはぼくの転職のためだ。

この娘とは会うことはある時期からなくなった。彼女が何らかの職を得ているのは、ほぼ確かだったが、顔を合わすことがなくなり、その職を続けているかどうか想像もしがたくなった。

そして今日、僕は近所で彼女を見かけた。自転車に乗っていたのである。彼女は老けていた。僕も老けたろう。年月は残酷に人を終末へと運んでゆく。

限りなく死に近づくまでぼくたちは運ばれる。そうしてENDを迎えるのだ。それは誰しも避けることはできない。永遠の死はやがて訪れる。

ぼくはこの娘を見て彼女の行く末を案じた。生きているのだからそんなにひどい生活ではないだろうとも思った。がしかし、彼女に人並みの幸福が訪れるだろうか。

それは不明である。


# by ningenno-kuzu | 2022-07-03 16:58 | Comments(0)

自画像 paint by 魔ギオ


by 穴田丘呼