モモの犬

モモは拾った犬を売ったうえ、そのお金を溝に捨ててしまった。それはモモが余りにもその犬を愛していたがためだ。『これからの一生』に出てくる点景のエピソードだ。このエミール・アジャールの小説についてここでも書いた。ぼくが偏愛する小説であるからで、ただもうその作を読む体力はないといっておこう。それは作品が・・・ではなく、僕がこの作品を読みすぎた為だ。

モモはハミルおじいさんにこう聞く。「愛がなくても生きて行けるの?」ハミルおじいさんはしばらく黙り込んでしまった。そしてうなだれて「生きて行けるとも」という。このセリフにぼくはガツンときた。モモは愛称で正式名称はモハメッド。ただこの名も怪しい。元娼婦で子供を預かる仕事をしてるマダムローザは、名前をこの子はイスラムだから、と、ひねりだした名前かもしれないのだ。しゅっせいのはっきりしない、モモはお母さんというものがいるということを知ってるが、ここにあずけられた娼婦たちの子のお母さんが時々訪ねてくるから知ったのだ。お母さんというものが自分にもいるだろうと。子供たちはそういった娼婦たちの送ってくるお金で、先ほど言ったマダムローザに育てられている。マダムローザはそういった子供たちを預かる仕事をしているのだが、ユダヤ人で元娼婦で、モモが5階まで上がるのにエレベーターに乗せてあがたい最もみじかなアウシュヴィッツ上がりの女性だった。つまりそのモモが犬を飼うべきではなかったのだ。自分の年齢すらわからないモモ。偽造のしゅっせい証明書が頼りの彼だが、お巡りさんか小説家になりたい希望を持っている。預けられていてお巡りさんになった元娼婦の子がいるし、ビクトルユゴーの『レ・ミゼラブル』みたいなのを彼は書きたいのだ。ただ犬を飼うには彼は恵まれていなかった。犬を買ってくれる人がいて、お金を貰ったが、モモにとっては犬の幸せが一番だったのだ。裕福な家庭に育ったみたいな人に犬を譲るのはモモにとって当然の帰結かもしれない。犬を売ったお金を捨てたとモモはマダムローザにゆうとマダムローザはこの子は気が違ってしまったんじゃないかと、カッツ先生に診察をうけるほどだ。

さて、我が家の犬は脳炎か、もしくは脳梗塞らしい。もう歩けないし、ものも食べれない。今日点滴を受けたが、治る見込みはないだろう。筋弛緩剤でその寿命を閉じることになるかもしれない。

モモの犬は強く愛された。子供とはいえ、彼の行動はわかるような気がする。余りにも愛しすぎたのだ。
by ningenno-kuzu | 2012-04-05 17:44 | ブログ | Comments(0)

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by 穴田丘呼