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ことば

仕事を進めるには部屋の整理整頓が、急務だということがわかった。本などが自室に散乱し、書類等もそこらじゅうから顔出しているし、やることを制限しなければもうどうしようもない。Tシャツ姿で外に出てみた。夕方だ。まだ少しひやっとする。初夏はまだここには来ていない。

ことばはどこにあるだろうか? 考えるフリをしてそう言ってみる。生きている人間に備わったことば。見ているもの、聞いているものすべてに言葉がある。ごく静かな夜。ぼくの記憶のある、ことばが浮かんでくるかもしれない。見たもの聞いたものが、だ。ひとりでは聞けない声。もある。外を歩いていたぼくは、よそよそしく往来する人々をみた。彼らは生きていた。だが、生きているぼくとまるで関係ないようにみえる。彼らはぼくを全く知らないのだ。よく似たような格好をしているので、誰もぼくを不信げには見なかったのだろう。パトカーや原付に(?)乗るお巡りさんもぼくを見なかった。男が歩いている。それだけだから。

昨夜はD.W.ウィニコットやアリス・ミラーの本を本棚から抜き出したので、そこらじゅうが広がっている。やはりこれらを整理しなくてはならない。これらの本はずいぶん昔に読んだ本だ。いまは読み返すだけの時間がない。ゆっくりとゆっくりと時間がすぎる時代は終わったのだ。

前にピースズという造語(?)のことを書いた。正しくはピーシーズらしい。これまた辞書を引く気にはなれない。どうでもいいことで笑っている人々を見るとなぜかうんざりする。彼らは平和な世界に生きていることに感謝などしないのだろう。でもぼくは彼らを非難などしない。逆にいいことだと思う。ただしぼくは違うスタンスでここにいるということ、彼らとは違うことを誇りに思う。それは誰かから評価されるのを待ってるわけでなく、延々と書き物を続けた、もしくは書物を読んだ後の僕に対する本たちのことばがぼくに囁いたからだ。ぼくは世の権威など信用しない。

ピースズ(ピーシーズ?)とは、一個のモザイクのパーツみたいなものだ。ぼくはそれを人間の個人の存在だと考えた。みじかな人はみじかなピースがなくなると困るだろう。つまり近親者とか親しい人、好きな人、そいいった存在が、我々の世界を構築しているのだ。離れたピースたちもその構造の中で繋がっている。これは全人類の存在を指す。つまりことば構造物なのだ。例えばぼくがこうして打つキーボードは誰が誰と作り誰が運び、誰が買い、そして誰が打つか。それだけでもたくさんのピースが存在している。が、彼らは物静かなのだ。個人が介在した物というものは、ただあるだけだ。たくさんの人々のことばがこの中には詰まっているが、決して彼らは存在しないような顔つきだ。

静かな気分になっている。フールオンザヒルのように、ぼくは愚か者として丘の上から人々の営為を眺めている。彼らは何処に行くのだろう。
by ningenno-kuzu | 2012-05-24 18:46 | 日記 | Comments(0)

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by 穴田丘呼