ただひたすら。

物を書く習慣が出来た時、それはぼくには最高で最悪なことだった。ぼくは書き、そして読んだ。すべてのことを書き込もうとし、すべて得ようとありとあらゆる物を読んだ。それが長い年月になってくると、どんな時でも書く事に思いを馳せてしまう。もちろん忘れている時もあるが、何かがパルスのようにぼくを貫くと、ぼくはついついそれを小説のシチュエーションに取り込もうとしてしまう。また、ぼくが、おじいさんに影響を受け、おじいさんが発明家でなければ影響を受けずに済んだことに_影響を受ける羽目になり、あれこれと脳内研究所で発明に取り掛かる。ヘンテコな文章だが、事実を書くとそうなる。それらのことがいろんな働きかけをぼくがうけてしまい、書くだけで良かった頭を、そんな空想ともつかない科学的な考察にぼくは魅了されてしまう。『チキチキバンバン』が我が家の古き良き時代、もしくはそんなミュージカルな映画を歓迎するのも我が家だからだ。前も書いたが、家宝みたいな物語だ。

創作ノートを少し読んだ。何年前かは知らぬが、小説を書く目標はありながら、その内容はひどく悲惨な物だった。何が悲惨かというと、小説の出来が悪いのだ。つまりそれが悲惨。だが、文章においてそれは綺麗だった。自分のことを褒めるようだが、ほんとに良く出来た、文章、ことばだった。うまいのではなく、美しいのだ。ことばの配列が美しくて、まるで叙事詩でも読むかのようだった。叙事詩といっても固くない叙事詩のようだった。だからぼくは救われたが、それをただ喜ぶわけにはいかない。肝心の小説がとてつもなくひどかったのだ。まるで学生が書いたように観念的で、言葉のための言葉とでもいおうか、感心できたものではなかった。そうなってくるとぼくが創作ノートーを読んでいる意味がなくなってしまう。良い物がありはしないかと読んでいるぼくには……。

だが、たぶんぼくは書き続けるだろう。しばらく筆を置いているが、やがてぼくは仕事を始めるだろう。ただそれだけのこと。だれも喜びはしないが、やはり大切なことだ。ぼくにとって。そういうわけでありまして、そんなに君を待たせるつもりはない。
by ningenno-kuzu | 2012-09-20 19:16 | ブログ | Comments(0)

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