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『ノーマレイ』と『イージーライダー』

 今日は映画の話です。しかも2編。どこでどう繋がるか楽しみですな。というわけで映画の話。二つともアメリカ映画です。それも社会派映画。というのはぼくだけかもしれない。ほかの方たちがどう見てるかは不明だからだ。どこでも田舎はある。日本もさ。そしてアメリカも。ただしこの2本の映画は、時代的に古いから現在のアメリカを象徴しているわけではないかもしれない。田舎に行っても、日本くらい知っているかもしれない。ただし、世界地図のどこにあるかまで知っている人は、アメリカの田舎の人はほとんどいるまい、とぼくは何故か確信が持てる。

『イジーライダー』はある意味、メジャーな映画かもしれない。有名だ。日本だけかもしれないが。ピーターフォンダだっけ? 役者も有名。なぜだっけ? とするのはぼくはいちいちネットで調べたりしないからだ。すべては記憶にある物をぼくは、ここブログでも展開してる。記憶は捏造されるが、その忘れ方、もしくはその記憶の仕方はぼくの特性であるわけだから、否定しても始まらない。ほとんどの人は映画紹介などブログでする場合、ちゃんと調べるだろう。その上で論説なら論説を展開することだろう。ただしぼくは違う、というまで。何もそういう人を否定する気なんて毛頭ない。ごく一般的だとはいえようし、そのやり方が正確をきすなら、正解だといえよう。だが(何度も言うが)ぼくはその方々とは違った人間なのだ。それを判ってほしい。






 一方『ノーマレイ』は有名ではない。それは主人公が女性だからではもちろんない。ただし女性が共感しそうな人物ではないのだ。同性受けが悪い映画かもしれない。もちろん観る人が全員(女性が)そうであるわけじゃないのは確かなこと。世の中は日本だけでも人が多いしね。主演女優の名前も知らない。ストーリーすらちゃんと言えないのだ。それは『イジーライダー』も一緒で、じゃあなぜ紹介するのだ、と言われそうだが、ぼくの論点は印象的なシーンの数々にある。映画はストーリーをソラでいうために観るのじゃない。映画から得るものはストーリーだけじゃないのだ。映画は知識を得るためではない。楽しみ、そしてその中から自分が思ってもないような何かを得る。それは観た人が共通認識を得るためじゃない。特異な個人の感想を、そして、現実にある事象と結びつけることのできる、何らかのものを感じ取ることができるのだ。

ぼくはこの二つの映画に、アメリカの田舎を感じた。ノーマ…では、彼女の家に組合を作るためにやってきたユダヤ人を見て(自分はユダヤ人だ、と紹介を兼ねてその男性はいったのだ)、ノーマは「ユダヤ人ててっきりお尻に尻尾が生えているかと思ってた」という感想を漏らした。

そして、イジー…では単車で田舎道を走る主人公を見て、トラックみたいなのを運転していた現地の人間たちが(2人だったと思う)、「よそ者だ。ヤッちまえ」といってライフルで主人公を殺してしまう。また警官がそれを許しているのだ。これらを見てぼくは結構ショックだった。自由の国アメリカ。平和な国アメリカというイメージが、ぼくの中で壊れてしまった。

両映画を詳しく述べることはまだまだできる。でもこれくらいにしておこう。銃社会のアメリカで、そういえば日本人高校生が射殺された事故があった。ハロウィンの日に、仮装した日本人高校生が、銃を向けられ「フリーズ」という静止の言葉を聞かず動いたため、撃ったのだ、ということになっている。もう日本の方々もお忘れかもしれないが…。

あのアメリカで…。ぼくの中の幻想が消えて行った。また日本がいかに安全であるかを知るには、これら映画たちは銀幕のスターをじょうして教えてくれる。映画は色んな世界を魅せてくれるのだ。ぼくが映画を愛する理由をお判りかね?

目が疲れたので、これにて。おさらば。また会いましょう。

「さよならさよならさよなら」



by ningenno-kuzu | 2014-06-18 18:02 | movies | Comments(0)

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