図書館に就いて。

図書館の役割はなんだろうとフト考えてみた。図書館はそう多くない。どんな自治体でもそうだろう。どちらかというと利便性の良い所にある場合が多いかもしれない。ぼくは日本全国、世界中の図書館を知らないのでなんともいえない。ぼくの地元、明石辺りで考えてみよう。もちろん現状をどうのと云うよりこれからを考えてみる。

明石の図書館は明石公園の中にある。市立と県立があるのだ。規模自身そんなに大きくはない。だが、景が良い。ロケーションがいいのだ。公園は結構広い。図書館目当てだってなくともこの公園に来る人は多い。人もそんなに多くないから、ゆったりとしている。都会の街ではそれは望めないが、ここは次元が違う。その良さをもっと生かすべきだ。

人はなぜ図書館に来るのか。本を読むためか? 借りるためか? それもあるだろう。時間という概念は、個人によって伸び縮みする。そんな時間を我々は共有することができない。実はぼくらは同じ人間であるが、同じ地域に住んでいるが、その世界は個々にあり、バラバラなのだ。その紛うことなき地平に住んでいる。それをことばは導くのだ。ひとつの共通する何らかの手立てを。

図書館は一種の避難所だ。利用者の立場は様々だ。ただそこで時間を潰すのは間違いないことだ。ここからぼくは始める。ぼくの歴史性と共に歩んだ図書館という施設にぼくなりのアプローチを垣間見せてみよう。そう思うのだ。ぼくは歩く。複雑な系を行き来しながら。

明石の市立図書館では「ライブラリー」という民間の喫茶店が入っていた。それはもうない。儲からないのだ。であるけれどもその店は恐らくうん十年は続いていた。そこでぼくはサンドイッチとアイスコーヒーを食べるのを常としていた。そこのサンドイッチはマスタードが効いていてとてもぼくにとってはうまかったのだ。しかしそこに経済という問題が絡んで来る。時代は変わるのだ。そこでお金を落とす人が少なくなったのだ。ある日ぼくは、いつものように注文して食べ終えて本を読んでいると、お茶が出てきた。つまり帰り支度を始めねばならなくなった。

このことは一見なんでもないことだ。やはり経済の影響は大きかったろう。それがいつの間にか違う店になっていた。ただしその店は1年と続かなかったように記憶している。パートのおばちゃんだけでやっているような店だったのだ。ここにはぼくの歴史がない。そうしてそのスペースは弁当を持って来た人が飲食するスペースになってしまっていた。そこにもぼくの歴史がない。連続性が失われたのだ。

ぼくは思う。行政がそういう歴史性をカバーすることを。つまり「ライブラリー」みたいな店は、公的資金を注入しても残すべきなのだ。もちろんお役所はそんな事は考えない。分断された個人の歴史などに興味がないのだ。本には歴史があるというのに、その根本的なことを考えてもみない。これでは図書館の存在意義がない。本が沢山あればいいというものではないのだ。理念ともいうべきものを失ってはいけない。何のために図書館はあるのか? その原点に立ち返るべきだ。

ぼくは子供の頃、良く叔母と図書館に行った。母は働いていたからだ。叔母は専業主婦で尚且つ子供がいなかった。それにぼくの母よりいくらか年上で、彼女は未来に自分の子供を持つことができるという希望は失われつつあった。そこにぼくがいたのでどこに行くのでも必要とあらば付いてきたのだ。だからしてぼくは、ちょっと家から遠い図書館にも行けたのだ。ぼくにとって図書館は避難所だった。それに本も読めるのだ。

最近の子どもたちは時間をゲームだとかスマホだとかに費やしているかもしれない。鍵っ子であればそんな時間の使い方をするかもしれない。まだそれほど大きくないこどもは、お母さんなりに付き添われて、もしかしたら公園をぶらついたり、図書館に行くかもしれない。どちらにせよ、ぼくが避難所を避難所たるべきことにするには、図書館が例えば不登校の子供のケアーをする側面を持って良いのじゃないかと思うのだ。また子供を抱えた母親が、遠慮せずに使える場にするべきだと思う。

お静かに! これは図書館の合言葉だ。子供の仕事ではない。子どもは泣く、遊ぶ、声を出す。お静かには一般的なマナーを植え付けるには良いが、真の子育てには合致していない。だから子どもが泣く、暴れても良いスペースを作るべきなのだ。そうすれば母親も安心できる。簡易的なマナーなど必要なくなる。そんなことはある程度の歳を取れば誰だって判るようなマナーであるからだ。だがそんな発想は誰もしない。図書館はかくあるべきだという既成概念で縛られている。立派な綺麗な図書館。蔵書が多い図書館。司書がマナーが良い図書館。それはあくまでも簡易的世の中のモラルにすぎない。もっと根本的な部分を大切にしなければ図書館という素晴らしい場所を活かせない。

もっと書きたいことはあるが、ぼくはそんなに暇じゃないので。ここら辺りで切り上げる。太陽光が強くなって来た。懐かしい季節である。

あるときにあるように。穴田丘呼拝。


by ningenno-kuzu | 2016-08-18 18:14 | エッセー | Comments(0)

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by 穴田丘呼