アランシリトー

『土曜の夜と日曜の朝』アラン・シリトー 編集 | 削除

だいたいぼくは30代までの読んできた本で何らかのの影響を受けている。影響を受けるのが悪いことかいいことか別にして、また、ぼくは小説に対して書くかかないはこれまた別にして参考にはなっている。

本作品は大体において労働者のなんともいえぬ悲哀を描いている。労働者の?

職業作家は大体においてこの点で欠落している。働いた経験のない人が、労働者を描く場合があるが、たいていの作家は職業に力点を置いていて、職種が問題で中身がない。

労働者が土曜の夜に酒場に繰り出し、そして乱痴気騒ぎを起こす原因が職業作家にはわからない。また、その描写が欠落している。

本作品はその点抜かりがない。シリトーがどうのでなく、この作家は知っているのだ。まさしく労働者を。単純労働の疲弊が土曜の夜に爆発して、そうして浮気相手が同僚のかみさんだと来る。

だが浮気が問題にはなっていない。不倫小説ではないのだ。そんなしょうもない話ではない。

また、この小説は女の読み物ではない。というか、女性は共感できないだろう。なぜこんなに泥酔するのか、女性にはわからないだろう。大ジョッキ11杯のビールと7杯のジン。

神経という神経を覚醒させる、酔いの心地よさ。だって土曜の夜じゃないか。こんなのり。

こんな労働者階級を描くことに意味を感じている作家はおそらくそんなに多くはいないだろう。サッカーの祝賀会みたいな夜を過ごし、飲みすぎてゲロをはき、同僚のかみさんと浮気をする。罪悪感なんてない。というか、感じさせない。これが労働者階級の生活だと。

シリトーはえんえんとその主人公を労働者として描き、そこに付随しているありふれた日常を超えるものを描くのに成功している。

たいていの作家はその逆だ。職業に興味があり、そいつらの生活には興味がない。この点は非常に深刻だ。なぜならそんな内容のない小説を読むのは、読む側にとって非常に骨が折れるからだ。

成熟した作家なら経験したことのない小説は書かないだろう。観念も経験なのだ。作り話は一見とんでもないが、生活に根ざしていれば、その作品はとてつもなくすばらしい。

たいがいの職業作家は書くことに何の疑問もないのかもしれないが、書くことは非常にクリエーティブな仕事で、書かなきゃ金にならないから書くみたいなやつらは、作家としての資質を一度見直してみたらどうだろうと思う。

by ningenno-kuzu | 2016-08-18 19:31 | Books | Comments(0)

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