宇宙少年穴田君

ぼくが生まれた町は東経135度、明石市立天文科学館がある真下の人丸町2-29にあった。つまり生家がだ。物心着いたころからぼくは天文科学館でプラネタリウムを見ていた。もちろん展示物も見ていたのだ。東経135度といえば日本の標準時間であり、そのためか科学館には日時計があった。科学館が建っている人丸山にも日時計はあった。

ぼくの夜空はプラネタリウムだったのだ。星の誕生から死滅。これらがぼくと共にあった。夜空は全世界の夜空を見せてくれたし、星座やそれにまつわる物語をぼくは知ることになった。ぼくが生まれ育ったこの町は、いわば僕にとって必然だった。僕の父方の祖父は発明家だったのだ。祖父は人丸町の貧乏博士と呼ばれていたそうだ。だが貧乏博士はもうひとりいた。ぼくの祖父は40代で肺炎にかかって他界した。そしてもう一方の貧乏博士は成功した。モリサワという。フォントでご存知かな? 

ぼくと同世代くらいの子供が、モリサワにはいた。でも一緒に遊んだ記憶はない。小学校が別々なのだ。ぼくは公立の人丸小学校だった。そしてその子は附属小学校だった。二人の貧乏博士の先行きがそれを決めてしまった。ぼくは祖父の偉業を祖母から聞いて育った。立派な人だったのだとぼくは思っていた。あるとき、ぼくは祖父に与えられた表彰状をみて驚いた。内容がすごかったのだ。在り来りな文章がそこには書かれていなかった。ほんとうに一字一句、考え抜かれて祖父のために書かれたものであることが一目瞭然だった。ほんとうにすごい内容だった。ぼくはその祖父を誇りに思っていた。ぼくも立派な人間になるべきだとぼくは心密かに決意した。

ぼくは科学少年だった。いや、科学は科学だけにとどまらなかった。あらゆるものがぼくには科学に写ったし、あらゆるものがひとつに見えた。ぼくは科学を別物だとはしなかったのだ。映画を観るように科学はあり、漫画本を読むように科学はあり、本にもそして…。すべては僕の中でひとつだった。

宇宙のビックバン。恒星のあかり、命のエネルギー。宇宙ステーション。月面基地。宇宙はいつでもぼくに語りかけてきた。ぼくのあらゆる疑問を宇宙は優しく教えてくれた。すべての物語はぼくにある種の恍惚感を与えさえした。ぼくにはどうにもできないことがそこかしこにあるが、宇宙の広さはそれらを無限大にしてぼくを包んでくれた。ぼくに人間として歩むべき道を宇宙は示唆してくれた。

ぼくはまだ小学生の頃、既に電波と光が同じものあることを知っていた。誰にも言わなかったがぼくはそれを知っていた。またぼくは21世紀には科学は人間を救うだろうと甘い夢を抱いていた。でも大人になって思うことはそれは不可能だということだ。どんなに科学が発展しようともそこには人間がいるのだ。すなわち人間には人間の問題を解決できない。その点がぼくの心を暗くする。でもぼくは諦めてはいない。しかも希望さえ抱いている。無駄な努力かもしれないが、ぼくは何らかの仕事で人類を救おうと考えている。それは小さな力かもしれない。でもぼくはまだ諦めたくはないのだ。生きている限りそうだろうと思う。

ぼくは努力という言葉があまり好きではない。努力よりも才能を信じている。ぼくにはそれがあった。そうしてそれを使って世界に発信するのだ。ただし何もかもがうまくいくとは考えていない。だがぼくはバトンタッチをする対象に程よい世界の提示ができるだろうと思っている。ぼくは散文を書いて本にしたりしている。そこにはぼくの宇宙がある。人間に対する認識がある。だがぼくは何も散文で、散文だけで発信しようとは思っていない。映画製作もそうだし、会社を起こして新しい時代を切り開こうとまで考えている。その先には誰も行ったことのない世界が待っていることだろう。ぼくはまっくらなその道に手製の足場を組んでそうして光を当てて道を作るのだ。その先には断崖絶壁が潜んでいるかもしれない。だがそんなこと誰にもわからない。わからないなら創ればいい。ないからこそ創るのだ。

あしたのおひぃさんもどこにあるかも不案内だが、点と点を結んで立派な衣装をそのおひぃさんにあげたいと思う。そこかしこに漂う絶望の空気を一変する世界の創造をぼくは求めてやまない。ぼくが町ぐるみで愛された理由は、古くから住む人が祖父のことを知っていたからだろう。ぼくはそこで愛情というものを得た。かけがえのない特別なもの。祖母の愛。両親の愛。近所の人の愛。親戚縁者の誰もがぼくを特別視していた。ぼくはぼくでなければいけなかったのだ。

ぼくはそうしてここにいる。聞こえないかい? ぼくの声が!

by ningenno-kuzu | 2016-11-19 16:10 | エム・アイ・ケイ・アイ理化学研究所 | Comments(0)

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