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3-30-3 喜楽荘

長いズンドコに(どん底に)入ってゆくなどとは思わなかった。『どん底』それはゴーリキーであった。僕は書きものをし読み物を読んだ。

女神は微笑んだ。ここにいるよ、とね。僕はその周りを遠心分離機に相当するような遠心力で飛び回った。そして現在にたどり着いた。人間の自由などわずかなものだ。

僕は映画『タクシードライバー』のトラビスように現実と作り話が半々のイカレタ男になっていた。帰り道はない。

「せわしなく明滅する因果交流電灯の一つの青い照明」だった。映画館、美術館をあまねく巡った。僕の美的感覚は自由意志の下で養われた。『20世紀最大のゴッホ展』

僕は苦労を厭わなかった。いや苦労など経験したことはない。自分にいつも帰るからだ。だが僕はぼくに帰るけど、僕に約束された道はない。

明るい方向にいつも僕は飛んだ。羽があると錯覚したのだ。

数カ月前、浮浪者のことについて書いた。彼は飛んでいた。Hという名も知られていた。汚物を複合ビル内で排泄する男だ。彼は物乞いしないという。彼は生きていた。

僕はいつも希望を夢見ていた。どこかに希望を宿し行動するのだ。そこに現実が襲い掛かる。僕はズタズタに噛み裂かれ、現実を忘れる為に長い旅に出る。無為な旅だ。あることがないこと。そんな旅に出る。『死亡遊戯』ともいえる戯れを求めるのだ。奇怪な物事がそこで披露され、自分の奥底にある狂気の振幅に振り回され、僕はあっという間にその快楽から離れる。

利便性の追求された現代。そこには命の繋がったぬくもりに欠ける。すべてはデーターとして扱われ、そこに命を感じ取ることはできない。一体僕たちの見る端末に何が書かれているというのだろう。人々は争ってスクリーンを眺め、興奮したり落胆したしたりする。そこにある心は既製品だ。代えがたい愛情を込めて語られるものじゃない。

そうだ。自己回帰だ。自分から始めるのだ。と取り返しのつかない現代を愁っても仕方がない。自分から始めるのだ。あることないことからはじめるのだ。それらは程遠い世紀に語り継がれるであろう。

by ningenno-kuzu | 2018-03-22 04:33 | ブログ | Comments(0)

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