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映画『タクシードライバー』

アメリカン・ニューシネマの代表作。音楽、キャスト、映像、脚本すべてが統合された本作品は、ぼくはおそらく20回以上観た。どれをとってもすばらしく、ほぼ完璧。

本当ならここからアメリカ映画は、世界にここにありみたいに総合芸術として発展するかと思われたが、金をかければいいものができると勘違いする時代もあった。それが一概に悪いとは思わないが、映画ファンはアメリカ映画から袂を分かつことになったのだろう。

本映画の脚本家はほとんど作品のそれで、ドロップアウトしたような生活を送っていた。数年前にその脚本家の『タクシー・・・』の創作秘話みたいなものが本になっていた。映画はかなり古いのにいまだにそういった本が出るということは、いまだに本作品はその命を失っていないということだろう。

ぼくでさえタイムリーに観たわけではなく、ずっとビデオばっかりで、ついに購入するまでに至ったのだが、友人がぼくがその映画の主人公に似ているとか・・・。アウトサイダーという面は確かに似ている。現実と作り話が半々の。とか。

現実とはなんだろうか? 本当なら明確にあるものとしての現実があると思われているが、そんなものはなく、すべては芸術作品のように難解で不透明だ。この映画に対するストーリーのウエブ上での解説もまちまちだし、もちろん評価もまちまちだ。

誰が誰を評価できようか? 家族でさえぼくにはわからぬ。たった一人の人間ですら理解できないのだ。自分のことさえわからぬ。ぼくはいったい何者か? そんなことすらわからない。

40億以上の人々がそれでも地球の上にいることを思えば、いったい現実とはなんぞやと思わずにはいられない。そりゃ戦争も起きるわ。血で血を洗う人間の宿命とさえ思われる。恐ろしい世の中だ。

グローバルリズムは世界を、そして日本を変えてゆく。ひとつとして同じものが無いのに、同じにしようみたいな運動は便利かもしれないが、ぼくの考える芸術運動とはかけ離れている。ぼくはみんなが違うことが第一義で、それでもどこかしらでつながることができればいいとは思う。価値観も生まれもバラバラで、それでいて連帯を感じれるような人間の本質にみやった芸術運動が世界と結ばれればいいなと思う。

藝術の本質は人々をつなぐ糊みたいなもので、何かわからんが良いみたいなものがあるはずだ。そうそうとなぜかしら言い合えるもの。結論はないが、パラノイアは我々がみるひとつの幻想だ。確かなものではなく、そこにあるように見える何かだ。記録され、書き換えられて未来永劫、人間が生きている限りみる夢と幻想のユートピアだ。

じゃまくさいのでいちいち校正はしないが、誤字脱字あらばいつものように見逃してください。

なお、ここにコメントする人は誰もいないがコメントする人はすべてパラノイアのメンバーということにするのであしからず。

規則等の断り書きは何もないが、自分で自分を律していることのできる人が望ましい。
by ningenno-kuzu | 2007-02-11 15:14 | 藝術の光と影 | Comments(0)

自画像 paint by 魔ギオ


by 穴田丘呼