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フィンセント・ファン・ゴッホ

20世紀最後の最大のゴッホ展に昔行った。20世紀だから昔なわけだが、ゴッホが報われないのは今もむかしも変わらないのは事実だ。

なぜ報われないか? ゴッホはすでに死んでるからで、誰が何十億でゴッホの絵を手に入れたなどというばかげた話を聞かずにすむが、だからといってゴッホが幸せだったとはいえない。

まあ一般的に知られているからぼくがいちいちゴッホのことは書かないが、彼の創作にたいする情熱は半端ではないことは自明のことだろう。

彼を芸術家と呼ばずして誰を芸術家というんだろうとさえ思う。生前売れた絵は一枚限り、それも弟のテオをかいしてである。売れたといってもそれで食えるわけないのだし、世の芸術家のように金がすべてと思っているアホといっしょにしてもらっては困る。

ぼくはゴッホ展しかも最終日にゆき、しかも閉館1時間前についたわけだが、なんと人々はまだ列を成して並んでるではないか?

これはしまったと思ったが、並ぶしかない。間に合うか? と思っていると拡声器の声で、時間を延長しますとのこと。助かったわ。と、思っていると小学6年生くらいの女の子がチケットを手にこれ使ってくださいと。ええ? なにそれ? どういうことだ。なにが起こったかぼくにはわからなかった。

そうしているとその子の父親らしき人が、妻がこれなかったものですからという。つまりただでチケットをくれるというのだ。いくらぼくが貧乏、もしくは貧相な人に見えたのかもしれないが、ぼくがなぜ選ばれたのかいまだ持って謎だ。

まあ、絵でも描いていそうな風貌だが、ぼくは。しかもやせてるし。

というわけで、順番を待たずしてゴッホ展を観れたわけだが、感動につぐ感動。幸せでした。
ぼくはゴッホより幸せだ。つくづくそう思った。

輝ける芸術作品。魂のこもった芸術作品だ。

彼の絵を見ずして藝術を語るなといってみたくもなる。
by ningenno-kuzu | 2007-04-01 18:56 | Comments(0)

自画像 paint by 魔ギオ


by 穴田丘呼