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最前線

定点観測で得られた最前線は瞬間であり、生きている最前線でもある。生きることに迷いなく足を踏み出し、そこに地表があればそこから脱落することはない。そこに疑念が生じ、ある確かなものを見いだせぬ時、人は不安に追い込まれる。そこは生殺しの地獄絵図とばかり、苦しみとつかぬ生の否定的な思念に悩ませられる時もあるだろう。

先の見えぬ未来に我々は脅威を見出し、お約束の人類共通の問題が出来上がり、そこで我々はこれは脅威とばかりに、自分のことを忘我の点において忘れたかのようにふるまう。誰しもが抱えたごく個人的な問題を忘れたかのようだ。だがそれは自分をないがしろにし、まるで自分が存在しないようにごく人類の悩ましき問題点を考えることで危うい世界に自分個人が立たされてるのを無視するか、見ないことにしているのだ。が、それが悪いことだと言っているのではない。自分の立脚地点を自分で検証するには人々は積極的ではなく、ましてや自分の生に対する疑問を投げかけるにはあまりにも非人間的だとすら言える。

こういった命題はごく少数のいかれた頭脳の持ち主に任せていおけばいい話で、一般人はこういった疑念に惑わされてほしくない。健康であるにはこういった考えに身を置くには適していない。生きることにぼくは人々に対して疑念を抱いてほしくないのだ。どんな善人もどんな悪人に対してでもある。

ぼくはブログにいろいろ書くが、こんなものには何の価値もなく、ましてやぼくに対して共感など抱いてほしくない。ぼくが唯一人々に不特定多数に申し上げたいのは生きていなければなにもできないということだ。人々の命の軽さは自明のことかもしれないが、だからと言ってぼくは人の命が軽いとか重いとかいう概念にとらわれる必要性を感じない。確かに生きている人々はこの最前線にいて生き続け、ぼくの死とは関係なく存続し続けることを切に願う。瞬間を共有しあいその瞬間を生きつづぜるなら、そこには死はなく定点的に生きているのだ。だから先のことをあまり心配せずとも、この一点において生きている事実のほうが重いとぼくは考える。

未来永劫、生きている人はいないのだから、そんなに隠された不安や衝動に頭を悩ませないでほしい。自分と関係ありそうで関係のない地球温暖化のことを考えていたら少しは楽になるだろう。そうしていたら少しは人間らしく生きられるかもしれない。ぼくは人間のクズなので人とは違うことを考えるまでだ。こういったイカレタ考えを、どうぞみなさんは放棄してくれたまえ。
by ningenno-kuzu | 2008-05-30 12:23 | ブログ | Comments(0)

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