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映像の美学

我々の持つ視覚情報は広範囲にわたる。単にそれが見ているものだけにとどまらず、我々には記憶という視覚情報があるからだ。記憶の断片がつなぎ合わされるとちょっとした映画になりえる。それは記憶の仕方とか、そのほかもろもろの在り方にもよるのだが、それら記憶は時代性を問いながら同時性がどこかで存在し得て、我々を一つのありようにまで運んでくれる。

映像が美しくあるというのは、風景が美しいというのとは少し違うだろう。記憶が甘くかぐわしいのだ。それに続く美しさは、変わりのない風景であったりする。いや、それも記憶の中で繰り返された風景といえるだろう。

映像は瞬間にもたらされる。その瞬間瞬間に心を打つべきつなぎ止めれれた記憶がその奥深くに存在する。いってみれば断片の多数が一つの方向に向かうとき、その方向性としての美学が打ち立てられる。我々の記憶は時に悩ましくあるけれどもその心音は、必ずしも固定されたものではありえないだろう。移ろいゆく映画のシーンさえ似つかわしく我々の記憶はあり得る。それら断片をわれら芸術家は掘り下げるのだ。長い歳月とともに歩んできた鼓動を耳にその思いは一つの映画にさえなりえる。

美しい花はもともと美しかったのではなく、それを美しいと感ずべき対象が向けれらた花が、長い歴史性の中でその美しさを誇ることになる。

美、それは静かでそして激しくもあり、穏やかでもある。心にあるすべてが、それを感じる。そうしてわれらの心をひと時、苦悩から逃がしてくれるのだ。

by ningenno-kuzu | 2019-08-04 18:34 | 藝術の光と影 | Comments(0)

結果、結論を急ぐ前に

結論を求め結果を見ることになる。スポーツと違うんだから結果は意味がない。その過程にこそ意味があり、結論、結果はそれらの付随物だ。そういうものさ。人が絡む何らかの現実は大きくは自分で作り上げた幻想さ。その中に多くの主人公が存在していようとそこにみられる物事は自分が見ている世界であり、多くに絡んでいるかに見える人々は、そこにはいるがそこには何の力もないストレンジャーさ。そういうものじゃないかね?時間はそこにはなくただただ生命体としての活動がなされる。そうして歩き、招き、どこかに行く。僕らは常に動いているんだ。つねに。
by ningenno-kuzu | 2019-05-03 17:12 | ブログ | Comments(0)

どーがしましたか?

by ningenno-kuzu | 2019-04-27 17:19 | ブログ | Comments(0)

自画像 paint by 魔ギオ


by 穴田丘呼