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個人主義的な問題と実際の個人的な生命の問題は異質な物であろう。言いたいことをいうということが自由であるかのように見えるが、そこに個人の意見がなければ個人の意見とは違ったものになる。そもそも個人と大衆の意見は違うし、また大衆というものなど存在しない。大衆という名詞は現実にあるところのものを捉えているかに見えるが、大衆という力動は個人の集まりというより、自分の意見を持たない日和見主義に多くみられる。

自分の意見というのは正しいという概念とまるで違う。端的に言えば世界に一つしか自分の意見は存在しいない。そこに多くの意見が含まれているように取り扱うのは危険だ。自分の意見が個人的な物であるということは別に問題でもないということを知る必要がある。そもそも自分と同じ意見などないし、せいぜい同じように見える意見が存在するだけで、その実、違ったものである。

では個人の意見があるということに対して、発話者は恐る恐る発言することになるかもしれない。だがそもそも違うということを知っていれば、その発言も有益であるとわかることだろう。なぜ有益かといえば違う意見を他人も持ち合わせることを知っているからだ。それを知っておれば他人の意見を聞くことができるというスタンスで物事に向かいあうことができるからだ。

自分の意見は個人的であり、しかも誰とも違っていて、他の人々の意見が自分とは
違うからにして他人の意見を受け入れることができるのだ。つまり自己自身が強く祈念してそうあれば、他人を恐れる必要はないであろう。ただしそのバラバラな意見たちはある種の新しい概念を持ち合わすことが出来る。新しい価値観の創出だ。だから自分の意見が頼りないとか、間違っているとかいう事はそもそも問題にすらならない。自分の意見が正誤表であらわせることなど意味がないことなのだ。たった一つしかないということがわかっておれば、そんな迷いもなくなることだろう。

ここは調和と多様性の人が生きる上で必要不可欠な創造的な、まるで三度の食事のように生きて行くのに必要なありようが併記される。自分の意見があるということは、つまり自分と違った意見があるということと同義であるのだ。

いろんな価値観が備わるにはそういった自己自身の認識が必要不可欠だ。自分を強く持つことは相手を否定することではない。相手との違いを知ることだ。そこからはじめて恒久的な人類の目指すべき道が見えてくるのだ。

人間の戦いに言語学的なチョイスをもたらすことはそういう意味では有益かもしれない。命の値段がいくらになっているか知らないが、21世紀という現代でもスーパーの大安売りを続けているようだ。

命というのは決して大切なものではない。けれども自分が自分で在ることの要請は命なしには語れない。

by ningenno-kuzu | 2019-02-06 17:13 | ブログ | Comments(0)

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